大人になってから始めたバイオリン。
それは、決して夢を諦めることのない大人の飽くなき闘いである。
努力なくして成功なし
昔、子供の頃にピアノを習っていました。練習が嫌いで、ぶっつけ本番で教室に行って先生に呆れられていました。ときどき教室に行くのが面倒くさくて、自分で先生に「おなか痛いので休みます」と電話していました。
それなのに、「ちっともうまくならへんし、高校受験やし」と中3のときにやめてしまいました。うまくならないのは練習しないからです、言うまでもなく。
せっかくの学びのチャンスを棒に振ったわけです。きっちり練習していれば、今頃、ちょっとピアノが上手いおばさんになれていたかもしれないのに、残念。
親にも月謝を無駄遣いさせてしまった。罪悪感です。
ピアノに限らず、わたしは努力が嫌いでした。例えば、英語を喋れる人になりたかったのに、そのための努力をしない。しゃべれるようになった姿は何度でも想像するのに。
あきらめが早い
あんたはあきらめが早いなと、人から言われました。資格取得や仕事にそれなりに熱心だったので自分ではがんばり屋さんだと思っていただけに、「この人はわたしをわかってないんやわ」と思っていました。
で、バイオリンをやってみて、最初の頃はやっぱり練習が苦手でした。初心者でブランクもあるのにオーケストラの曲なんて無理だと、投げ出そうとしていました。
そのとき、ふと、あきらめが早いと言われた言葉がよぎりました。そんなことない!と打ち消しつつも、いままでの自分を振り返って、その指摘が間違っていないことを自覚しました。
で、人生で一度だけでも「とりあえず一生懸命やってみる」ことをやってみようと思いました。楽譜の中に自分には無理だと思うような場所があっても、練習せずにうまくならへんとあきらめていた子供のままではいられません。やってみてからあきらめても遅くはないのだ。
しかも、テレビ番組でバイオリニストが練習の鬼と化す姿を見てしまったので、そんなすごい人でもあれだけの練習をしているのに、こんなド素人がちょちょいと触っただけで練習した気になるってどないやの!!
っと思ったらもう、恥ずかしくて、わたしを受け入れてくれたオーケストラのメンバーにも申し訳なくて。
自分との闘い
とにかく必死で練習してみることにしました。で、どうやって練習するか。なんせ子供のころからサボり続けてきたために練習のやり方がわからない。
で、よく聞く「音楽は反復練習」を思い出し、試してみることにしました。
そして、徐々にわかってきました。それは、サボるとバレることです。自分に。
次、バイオリンに触ったときに指がついていけなくなってるんです。すぐなまるんです。
そして、課題が見えるようになってきました。そしてそれを乗り越える努力をする自分になってきたのがわかります。よかった。以前のままだったら、ぼーっと生きて人生がいつの間にか終わってしまっていたかもしれない。
いま、わたしは、努力することの醍醐味を味わっているのだと思います。
最後に 継続は力なり
昔の人の残した言葉に間違いはありません。
努力しない人にはご褒美はありません。
他のことでも同じですね。
この年になってようやく努力とかあきらめないことができる人間になったかもしれません。いくつになっても人生は、心がけ次第でやり直せる、よくしていける、そういうことをバイオリンを通して自分で証明できているのかもしれません。
そして、明日は今日より上手くなる、きっと。