意思疎通が難しい
母を今の家に迎え入れたのは、もうかれこれ6年ほど前です。
それまでは、JR2駅ほど離れたところで、お互いにひとり暮らしをしていました。
わたしには、兄と妹がいます。
兄は、車で2時間ほど離れたところに、妹は新幹線で2時間ほど離れたところに住んでいて、母の日常を見守るのは、ほぼわたしだけという状態でした。わたしは、兄妹とは仲良くありません。母は、兄のことが無条件で大好きで、妹のことは末っ子でかわいいのですが、どの子供よりわたしは母が大好きです。
とはいえ、過去のしがらみなどもあるためなかなか素直な態度で接することもできず、それでも休みで時間があれば、ちょっとした手土産をもっては車で母の家まで行って数時間を一緒に過ごしていました。
手土産といっても芋けんぴとか、大学芋とか、母の大好物のさつまいものおやつを買って、それを訪問の言い訳にしていました。
でも、一番の目的は安否確認です。
母に一緒に住もうと誘ってみた
母は、妹が結婚するとき、妹の旦那さんになる人に「お義母さんと一緒に住もうと思っています」と言われたと、嬉しそうに話していました。
わたしは、そのときから既に一人暮らしをしており、父が亡くなった後の家にひとり残る母を気にかけていたので、とても安心しました。
しかも、そのときのわたしは、「絶対に自分は親の面倒なんかみない!」と決めていたので、母と同じくらいに喜んでいました。
しかし、ふたを開けてみたら、義弟は母を迎え入れてはくれない。いつまで待っても。
その昔、母は兄の奥さんに「お義母さんも将来は一緒に」と言われ、喜んでいました。もちろんわたしも。
彼らは少し遠くの町に引っ越すことになりましたが、彼らの長女が保育園の年長さんだったこともあり、卒園するまでは奥さんと長女は引っ越しを待つことに決めたというので、母が代わりに兄と一緒にその家に住み、当時から悪かった片足を引きずりながら、慣れない土地で買い物に行って兄の世話をしており、いよいよ卒園シーズンになって奥さんが「お義母さん、そのうちあちらから呼びますから待っていてください」と言い残して、長女を連れて引っ越していきました。
でも、待てど暮らせど呼ばれないので、兄にこっそり「いつ?」と聞いてみると、奥さんから兄経由で「いまではないです」という返事が直接母に届きました。
そんな経緯もあって、わたしはすっかり母から気持ちが離れられなくなりました。
母が一人で住んでいたわたしたちの実家へことあるごとに帰り、2人で過ごし、翌日には帰っていくという生活をしばらく続けました。
車の運転席の窓を開け、「じゃあね」と手を振る私に笑顔で手を振る母。でも、バックミラーで見たらね、その顔が泣き顔に変わっていっていたのをわたしは知っているのですよ。
そんな母をいつまで一人で置いておけるだろうと思いつつ、ようやく6年ほど前に家に呼んだのです。実家は手放すことにし、今はわたしがローンを払っている家に一緒に住んでいます。
呼んだときは、もしかしたら断られるかもしれないという思いもありましたが、以外にあっさり「そうしてくれる?」との返事で、引っ越しはすんなりいきました。兄にも手伝いに来てもらって、なんとか形になって、現在に至ります。
まあ、わたしのこだわりもあって、わたしが使っていた部屋を母に使ってもらうことにしました。というのも、ちょっと興味があって調べてみたら、その部屋の方角がわたしにとって猛烈によくないということがわかったからです。そのときの職場でいろいろあって、結局退職したのですが、別の部屋を使うようになってからはうそのように平穏な生活を送っております。「辞めたからでしょ」と突っ込まれそうですが、実際そうかもしれませんが、信じることにしています。そして、その部屋が母にとってとてもいい方角だとわかったので、使ってもらうことにしました。
思っていても通じない
ここまで書いたことだけ読むと、なんていい娘だろうかと思われるかもしれませんが、わたしと母の間にもいろいろあるのです。細かいことは細かすぎて覚えていないこともありますが、いまでもときどき母との間に気持ちの行き違いが生じているのを感じます。
母は母で、兄妹たちのなかでは一番扱いにくいわたしとの同居を選んだはいいものの、きっと後悔もそれなりにしていると思います。でも、他に行くところがない。施設入所という手もあるかもしれないが、あまり生活に余裕のない我が家では、要介護度の壁があり、すぐには施設に入れない。
※例えば、比較的安価な特別養護老人ホームは要介護3以上で利用可能となります。
自分で「一緒に暮らそう」と言いながら、けんかをしては「一緒に住むのやめたいのかな」と思ったりしています。母はもしかしたら兄や妹のところに行きたいのかも、と思うからです。昔とは違って、彼らにも声をかけてみたら、以外にあっさり引き受けてくれるかもしれない。
でも、また拒否されると3度目の正直になってしまう。それで苦しむのは、行き場がないとまた自覚させられる母と、やはり一人で背負うしかないと思うわたしなので、聞く勇気も湧いてこず。まあ、よほどのこと、たとえばわたしが病気やケガで、あるいは死んでもう母と一緒に住めないとなってからでいいかと先送りになってしまいます。
それでも気づきはある
足が悪くなっていよいよ家の中で歩行器を使っている母が、転倒してしばらく動けずにいてトイレに間に合わなかったとき、母を着替えさせて部屋に連れて行き、深夜に床を掃除しながら、なぜ自分がと声を押し殺して泣いたとき、一人がこんなに苦しいとは思わなかった。
よく、介護の支援にあたる人、例えばケアマネジャーなどは、「一人で抱え込まないで、話聞きますよ」と言ってくれますが、「転倒してトイレに間に合わなかった」という話はできても、「一人が苦しいとは思わなかった」なんて、言えないんですよね。重くてどうやって対処すればいいのかと思うようなこと、わたしなら聞いたとてどうするだろうかと思ってしまいます。
「何もできないかもしれないけど、聞くだけなら聞けますよ」と前置きがあればいいかもしれないですね。話す方としては、「あ、聞くだけなんだ」と思うかもしれないですが、話せる相手がいるだけでもいいと思うこともあったり、「聞いたからには何かしてあげないと」と思われると反対に気の毒になって話せないかもしれないので、そういう前置きがあれば、話して共感してもらうだけでも気持ちが楽になるかもしれませんから。
話は母に戻りますが、母のためにご飯を作りに早く帰ってあげたいと思うのに、帰れば帰ったで、「わたしのために早く帰ってこなくていい」と言うのです。けんかも何もないときに、せっかく気分よく買い物して帰ったのに。
ある時は「お昼ごはんは要らない」と言います。わたしは朝、「今日はお昼に一度帰ってきて家でごはん食べるから。お蕎麦にするから」といって出ていき、お昼、少し遅めに帰ったら、「わたしはお昼ごはんは食べない」という。
わたしはわたしで「食べてくれないと困るから」「わがまま言わんといて」と機嫌悪くなって言い放つ。
そんなことがたびたび繰り返されます。
母は母で気を使っているのだろうとは思います。自分のためにお昼や早い時間に帰ってきてもらうのが悪いと。それもわかるのですが、でも、どうしようもない。どうしたらいいですかね。気を遣わさずに帰る方法。
母は、自分がすっかり手のかかる人になってしまったことを受け入れたくないのかもしれません。
冒頭にも書きましたが、母にはわたしを含め、子どもが3人います。でも、母が求める2人は母にあまり顔も見せず、一番やっかいなわたしと一緒に住んでいるわけですが、ずっと昔からのわだかまりもあって、けんかや話し合いもよくしてきました。
そんなわたしがなぜ母と一緒に住んで、他の兄妹が知らないことをたくさんしているのか。これは単なる人間関係の話にとどまらず、家族の介護はやった人にしかわからないしんどさがあるのです。
そして、その2人は母の様子を気遣ったり、普段の生活を気遣う連絡など一切入れてきません。自分たちが用事があるときだけメッセージを入れてくるのです。
なんでこんなに苦しいのかと考えることがあります。そして、それはきっと、自分以外に自分のしんどさを理解してくれる人間がいないからだと思っています。
でも、車を運転していたとき、ふと気づきました。なぜそのタイミングだったのかわかりませんが、ふと、よぎったんです。
「あぁ、これが無償の愛ってやつか」と。親が「子供の為なら何でもできる」というやつと同じことなんですよね、きっと。それを知るためにいま自分は母親と一緒に暮らしているんだなと。
間違っているかもしれませんが、そう思うことでなんとなく納得できているので、そう思っておくことにします。
そう思っておく方が、得な気がします。
ちなみに、わたしが母にいら立ちを感じるときにいつも思う言葉があります。これは、過去に仕事でお世話になった方が言ってくださった一言です。
母と一緒に住むことになったと報告したとき、「おめでとう!とてもラッキーなことですよ」と。そう、しようと思っていてもなかなかできることではない、かもしれない。親の面倒を見れるなんて。
嫌いと思ったこともあるし、なぜわたしを生んだ?と思ったこともありました。父のことも嫌いでした。でも、父が早くに亡くなり、いま母と一緒に暮らすことは、ほかの2人にはできない決断です。
どんなに恩返ししたいと思っていても、その特権は、少なくともいまは3人のなかではわたしにしかありません。
そう思っておく方が、自分の人生にとっていい気がします。
