鏡の中のあなた

いじめと弱さ 人間関係と心の闇
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弱い者いじめは人間に仕掛けられた試金石

過去から見てきた人間関係をもとに書いています。

学校、職場や取引先、ご近所、ママ友、家庭、ちょっとしたお買い物まで、どんなところにも人間関係はあります。

そんな人間関係について、ちょっと考えてみたいと思います。

なかなか簡単に書けるものではないので、まずは身近に見たトラブルPart1といったところです。

こんなストーリーがあったとして

たとえば職場で。誰よりも仕事ができると思い込んでいるAさんは、ある日中途採用されたBさんに仕事を教えることになりました。

BさんはAさんと年齢が近く、教えると言っても若い新卒者を相手にするのとは違い、Aさんも少し気が楽でした。共通の話題もあって楽しく過ごしていました。

Aさんはその部署では上司から頼りにされる存在でした。ある日、そのAさんが上司から頼まれた急な仕事をBさんに手伝ってもらうことにしました。

AさんはBさんに「急に手伝ってもらうことになってごめんなさい」といいましたが、Bさんは何気なく、「わたしもその業務をできるようになっていたいので、いい勉強になります」と言いました。

上司は、頼もしい部下が一人増えたことに喜びました。

それからしばらくして、Aさんは上司にBさんの小さなミスを告げ口しました。Aさんとしては、会社の利益を守るためという大義のためです。

Aさんの告げ口はエスカレートしていきました。Bさんが不慣れなために細かいミスが続き、Aさんのイライラが積み重なったのです。

普段、会議や出張の連続でなかなかBさんの仕事ぶりを目にすることがなかった上司も、Aさんの言うことには一理あると思い、Bさんと直接話をすることもなくBさんを避けるようになりました。

Bさんは、転職してきたばかりの会社から去っていきました。

他人事ではない

今回のストーリーは、AさんがBさんに職場での立場を奪われまいとする危機感を覚えてしまったのが始まりです。

Bさんに本当にきちんと仕事を教えたかどうかはAさんのみぞ知るところです。

そのBさんを「出来ない人」と位置付けることに成功したばかりか、上司を巻き込んで追い出しました。

上司が、告げ口の過ぎるAさんをたしなめてくれればよかったのにと思わなくもないですが、上司にとっても、AさんとBさんを天秤にかければ慣れているAさんの方が扱いやすく、また、Aさんを信じる方がことは簡単で都合がいいのです。

AさんはBさんのミスによるイライラが重なり、ストレスとなって、やがて告げ口を繰り返しました。

Aさんが自分の中にはっきりとした悪意を感じていたかどうかは定かではありませんが、Bさんの不甲斐なさに怒りを感じていたのは確かでしょう。

そして、その感情を他の人と共有できたとき、AさんのBさんに対する感情の強さは増大します。共感を得ることで他人に認められた気になるからです。

自分のしていること(ここでは告げ口や、Aさんの感情がにじみ出ていたであろう普段のBさんへの態度)が正しいことだと思い込み、あるいは思い込もうとし、もうその行為を止めようとはしません。止める必要も感じません。

標的は、自分が狙われていることをいずれ知ります。

標的が果敢に反撃できる人ならまだしも、いろんなことを考えてしまってなかなか難しいかもしれません。

そのうち居づらくなって、去っていきます。去り方はどうであれ。

そんな単純なメカニズムが、人が複数集まるところでは出来上がりがちです。

本当に弱いのは誰か

ストレスは誰にでも溜まるものです。そのストレスを発散するのは気持ちがいいですよね。でも、発散の方法を間違えたら、本来は傷つけなくてもいい相手を傷つけてしまうことになりかねません。

人間関係とは、自分と自分以外の誰かとの関係です。相手がいるのですから、関係が崩れると取り返しがつかないことになってしまう可能性があります。

BさんもAさんの元を去りました。

もしも、AさんがBさんに危機感を覚えたとき、負けまいとして自分の腕を磨いていたら、二人はとてもいいライバルになったことでしょう。会社も効率が上がったり取引先との印象が良くなったりで、もっと発展していたかもしれません。

もちろん、Bさんのミスに対するAさんからの指摘は必要だったかもしれませんが、もっと他にやり方があったはずですし、先輩として「よそから来たばかりのBさんを、いっちょこの会社で育ててやろう」くらいの気持ちでいてほしかったものです。

きれいごと? いえいえ、本来は先輩としてあるべき姿です。

でも、それがなかなかできないのが人間です。ちょっとしたイライラの積み重ねが、いつか我慢の限界を超えてしまいます。

Aさんは、先輩としてのあるべき姿に気付かず、また、告げ口の原因がBさんに感じた脅威であることにも気付かずに行動しました。

このとき、自分のした間違いに気付ければいいですが、Aさんも冷静ではありません。

たいていは「悪いのは相手、自分は迷惑をかけられた側」になるのです。そして、いかに自分が困ったかを周囲に知らしめようとする。

周囲はそれについては聞き流せばいいのですが、たまたまその標的に対して自分もどこか気に入らないところがあると、一緒になって吐き出すのです。

それがいじめにつながる。

それは複数の人間がいれば小さな場所でも、たった二人きりでも起こりうる単純なメカニズム。普段なら弱い者いじめはしてはいけないとわかっているはずなのに。

周囲もただのストレス発散に同調しただけに過ぎないのに、正しいことをしている気になるのです。

そして、人を傷つける。

いけないこととわかっていても、こういう出来事に直面すると、なぜか人はその罠にはまりがち。ストレスを発散できて快適だから。面白いから。

標的への攻撃という身近なワクワク感に支配されているだけなのに、ともに戦い充実した日々を過ごしているかのような錯覚に陥る。

そんな自分の姿を鏡で見ても、きっと生き生きとした美しい表情をしているでしょう。

本当の自分の姿に気づきもしないで。

それって、試されているのかもしれませんね。あなたなら気付ける?って。

生き方の問題です

さて、Aさんはその後、街のカフェでばったりBさんと出会いました。BさんはAさんの存在に気付いて少しうつむき加減です。

Aさんはというと、Bさんの存在に気付いたあと、友達とのおしゃべりにさっきまでの勢いがなくなりました。意気消沈という感じです。

理由は言うまでもありません。

ただ、そんなAさんは、次に職場に来た人とはうまくやっていけるように努力するはずです。きっと。

最後に。わたしはとても弱いです。でも、鏡をみて自分の姿に気付ける人間でありたいです。間違っていたら姿勢を正し、目の前の自分に恥ずかしくない人間でありたい。

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