心を開けない大人 

心を開けない 人間関係と心の闇
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もう大人なんだから、人見知りとか病んでるとか言うなよ

って言うけど、人はみんな怖がりで強がりなのではないでしょうか。そんな心の影をちょっと吐露してみたいと思います。独り言です。

衝撃が加わると、人も急に変わる

若干怖がりです。以前はこんなんじゃなかったのに、数年前から急に「人から見た自分」というものが気になりだした。

前いた職場で、そこの偉い方々と普通に談笑していたら、「他の人の手前、注意してください」と言われたのがきっかけじゃないかと思う。偉い方々となれなれしくするなということだ。

誰とでも気軽にしゃべるときはしゃべる。ただ、確かにわたしは調子に乗ってしまうところがあるので、職場の空気を乱さないようにそういう注意をしておかないといけないと思われたのかもしれない。

自分でもそう自覚した。そして、急に恥ずかしくなった。いままでのわたしもきっと「ひどいなぁ」と思われていたんだろうな、と。

過去の生い立ちから、自分に自信が持てないまま大きくなってきてしまった面があったのだけど、もともとの社交的な性格に助けられて、普段は明るく人と接していたのに、「人として・・・」みたいな注意をされてしまったことで、その面が表に出てきて一層心に刺さったのかもしれない。

どうやらその言葉は、わたしを変えるほどの衝撃となったようです。

相手によっては緊張する

人の目を気にするようになったことで、自分が話しかけたときに相手がどう思うかを気にするようになった。

言おうとした言葉を飲み込んでしまったり、何を言えば相手にとっていい返事なのかを意識してしまったり。

こちらが緊張すると相手も緊張するのにね。

そもそも、相手の反応を気にして口にする言葉を考えてしまうというのは、多少は誰にでもあることだと思うけれど、そればかりが先走って結局何も言えなくなってしまうようでは、その会話に自分は参加できていないということで、ただ居るだけの人でしかない。

誰も、次のセリフはこうだろうと期待しているわけではないのに、勝手に相手の気持ちを読もうとしてしまう。

いったい、誰の時間を生きてるの?

わたし、自分の時間を生きてない、って気づいた。このままでは人の人生を生きることになってしまわない?

ありのままで

歌が聞こえてきそうだけれど、気を遣いすぎて自分を生きてなかった。誰もそんな気遣い期待してないのに。まったく何の役にも立たない気遣い。

そんなことに無駄に神経すり減らすくらいなら、もっと自分の思うことを口に出して自分らしい会話を楽しんだ方がいい。

それで相手の反応が変だったら、それを学べばいい。恥をかいてもいいじゃない。変な人だな~と思われてもいいじゃない。楽しめばいい、相手の反応も。

そんな風に思えるのは、年の功でしょうか。

肩の力抜いて。

今年ももう40日が過ぎたんやで。

まとめ

大人になっても尻込みしてしまうことはあるし、慣れない相手とはうまく話せない。それを「人見知り」で片づけないで、恥をかくことを怖がらずに、自分らしく生きていこう。

だってほら、人生は刻一刻と過ぎていくんだから。自分がもったいない。

な~んて思うけど、ダメな自分もときどき出るね、きっと。でもこれも自分なんだな。

恥ずかしくてダメな自分も受け入れられるようになったら、強い自分になるのかもね。自分の人生を生きる強い自分に。

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